私たちの多くは好む好まざるをかかわらず集中しなくてはなりません。
体だけでなく脳も昼夜を問わず何かしらの信号を発信し続けます。
多くの人は同じ状況です。
そんな中、何かを成し遂げる人とそうでない人がいますが何が違うのでしょうか?
多くの違いがありますがその中で特に私が気にしているのが集中力を発揮する
「仕組み」
の有無です。
この「仕組み」を持たないために、方向性や一貫性のない無駄な時間を作ってしまいます。
一見すばらしそうなものを見つけては飛びつきますが・・・
なかなか具体的な形ができないまま、感情に振り回されたり、いろいろな邪魔が入り中断して最後まで形にできなくなってしまいます。
自分の考えや思考に「芯」が通らずに突然現れる魅力的に見えるオファーに飛びつき単発な行動の嵐になってしまいます。
この状態は、集中力の欠如、目標設定の曖昧さ、エネルギーの不足などなど多くの要因によって引き起こされます。
ではこのような状況の時はどのようにすればよいのでしょうか?
ここにちょっとした話があります。
あるユニークな逸話があります。
ある教会の修道女の話です。
新入メンバーの訓練と監督を任されているシスターは、訓練の最初の日、新入生たちに向かって次のような質問をするそうです。
「私たちは、なぜ祈るのでしょうか」
ある新入りの修道女が手を挙げて言います。
「私たちが神を愛し、毎日崇拝したいと願っているからです」
「そのとおりですね。でも、それは私たちが祈る理由ではありません」
当惑しながら、別の熱心な若い修道女が手を挙げて提案します。
「私たちが祈るのは、神との精神的なつながりを強めたいからです」
「そうですね」とシスター・ジョアン。
「でも、それは私たちが祈る理由ではありません」
何人かの修道女たちは、イライラして本当の理由は何かと不思議がりはじめます。
また1人、熱心な修道女が勇気をふるい起こして答えます。
「私たちが祈るのは、悩み多き魂を静めるためです。私たちは、心と精神を向上させるために祈るのです。感謝を表し、許しを求めるために祈るのです」
「どれも正しいわ」
とシスター・ジョアンは答えます。
「でも、それは私たちが祈る理由ではありません」
もう1人の修道女が、とうとう正解にたどり着けるのではと期待を抱きながら挙手します。そして「私たちが祈るのは、祈ることになっているからです」と言います。
シスター・ジョアンはほほ笑みます。
「それは近いわね」
そして言います。
「でも、それは私たちが祈る理由ではありません」
部屋にただよういらだちを感じながら間を置きます。
まゆをひそめた顔々はみな、どんな答えが求められているのかと彼女のほうに視線を集めます。
「私たちが祈るのは」と、彼女はついに話しだします。
「鐘が鳴るからです」
シスターたちは毎日どんな気分だろうとどんな環境にあろうと、礼拝堂の鐘が鳴ると礼拝に集まり祈りを捧げます。
ここで考えて欲しいのは?
彼女たちは「鐘がなるから」集まるのです。
ですからこの「鐘」こそが、仕組みなのです。
仕組みとは、
設ける優先順位
自分の1日を形づくる方法
時間を費やす方法、あなたが引く境界線
従うルール
使うシステム
行動する時間割
立てるプラン
設定する自由度です。
あなたはどのような仕組みを持っていますか?